2007年12月19日水曜日

ケリンチ地区のラヤ山導社会の中にある六人のデ                                 パチイ「習慣指導者」と三人のニニクママク「長老」義務。
 
始め
グヌンラヤ県はこうげんです。がいばつ1400Mぐらいです。この県 の中に17の村があります。2005/2006年にじゅうみんは、12000人ぐらいです。いっぱんにグヌンラヤ県のまわりにはおかがたくさん あります。そしてこの県も国定自然公園に指定されています。グヌンラヤ社会はいっぱんにのうみんです。
その県にはいろいろなやさいがさいばいされています。たとえばじゃがいもとかとうもろこしなどがあります。グヌンラヤ県にもしぜんなかんこうちがたくさんあります。たとえばシルアンベルシシクエマスの滝とか、デユオ湖とかリンカト湖などがあります。そして、むかしのれきしのものもあります。
 グヌンラヤの社会のなかにはしどうしゃがいます。そのしどうしゃは六人のデパティ「習慣指導者」と三人のニニクママク長老)です。その人は指道者的役目をしています。もんだいがあつたら、グヌンラヤの社会はいつもあつまり、そうだんします。そうだんするのは六人のデパティ(習慣指導者)と三人のニニクママク(長老)にせんどうされます。このように筆者はこのことにきょうみがあります。筆者は社会のなかにあるデパティ習慣指導者のぎむについてはなします。

1.六人のデパティ「習慣指導者」と3人のニニクママク「長老」の義務。
  六人のデパティはグヌンラヤ県のなかでいちばんちからをもっています。六人のデパティはパルボとゲントとジャヨとルロとジュドとカルタウドとデパティの六人です。いつぽう、デパティの言葉はジヤワ語からとつています。ジヤワ語はアデパティです。ジヤワ社会の中でアデパティは指道者です。いっぽう三人のニニクママク(長老)はミナンカバウ語からとっています。
ミナンカバウ社会のなかにニニクママク(長老)は子供たちまごたちやに色々なちゅうこくします。そしてニニクママク(長老)も甥にちゅうこくします。ニニクママク(長老)は三にんいます。三人のニニクママク(長老)はラジヤヨチアンアラム、とスタンマリンガンとスタンバギンドです。
  六人のデパティのぎむはグヌンラヤの社会の中でひつようなことをします。そして、社会のなかにもんだいがあたら、そのもんだいをかいけつしなければなりません。いっぽうニニクママク(長老)のぎむは社会のなかにあることをとりきめます。たとえばあんぜんのこととか社会のたんぼの権利をとりきめます。ニニクママク「長老」はそのもんだいをただしく解決します。

2. 六人のデパティの歴史
  16せいきごろ、はじめにグヌンラヤの社会にはー人のティパティしかいませんでした。そのデパティはレンチヨンタランと言いました。そのデパティはプラウサンカル村にすんでいます。だんだんじゅうみんは多くなりますから色々なもんだいもたくさんになります。
プラウサンカル村はルロ村のいなかまでとおいですから、問題をかいけつするためにむずかしくなりました。ですからルロ村のラジョラジョ王はマタラムおうこくからデパティをむかえようとおもていました。そのラジョラジョ王はフルマニク王に会うために、マタラムのおうこくへ行ったはじめての人です:

パルボと言うデパティです。
 ラジョバジャオ王は四人のきょうだいがいます。きょうだいはマンガルガ王、ピナンムド王、とセプカル王です。そして、ラビア‐ブランひめとけつこんしているインドラバンサワンサ一王の五ばんめの息子です。
パルボデパティはは五代目の王です。彼は、マタラムフルマニク王国へランジイという王家の旗をもって行って、デパティのしょうごうをもらいにいきました。マタラム王国につくと、ラジョバジャオ王はラジョマタラム王にあいました。そして、ラジョバジャオ王はラジョマタラム王にマタラム王国にきたもくてきをせつめいして、ランジイという王家の旗を見せて、力の強さをみせました。
ですからラジョマタラム王はラジョバジャオ王に「あなたはやっぱり王様の子孫ですからあなたにパルボと言うデパティのしょうごうをあげる」と言いました。しょうごうもらったあとでパルボデパティはルロ村へかえりました。

ジャヨと言うデパティとゲントと言(い)うデパティ。
プラウサンカル村の「ルロ村についたパルボデパティ王」のうわさが広がりました。そこでレンチヨンタラン王のデパティ王はラジョバジャオ王をついほうにいきました。ラジョバジャオ王からせつめいがあったあとで、ラジョバジャオ王は「私のしょうごうはラジョマタラム王からもらいました。私は王様の子孫ですから」と言いました。レンシヨンタランのデパティ王はプラウサンカル村へかえたあとで、人々はそうだんしました。
人々はマンガルガー社会とマンジュアンアラム社会です。彼らと会って相談することに決めました。ですから、むずかしい問題ですからパガルユアン王国にこの問題を解決。してもらうことにしました。ルロ村からの代表はマンガラガーとマンジュアンアラム王です。いっぽうプラウサンカルの代表はレンチヨンタランのデパティ王です。
その代表はラジョパガルユン王国へ会いにいきました。ラジョパガルユン王は「私はあなたたちにデパティのしょうごうをあげよる。でもラジョマタラム王から許可がなければなりません」と言いました。ラジョマタラム王から許可をもらいラジョパガルユン王はマンガルガー王とマンジュアンアラム王にしょうごうをもら、そのしょうごうはジャヨのデパティとゲントのデパティです。

ジュドと言(い)うデパティとカルタウドと言(い)うデパティです。
ジャヨと言(い)うデパティのしょうごうはマンジュアンアラムの子供に「あなたは私が死んだあとで私のかわりになる」と言いました。子供は「いや、私はじぶんでラジョジャンビ王にしょうごうをもらいたい」とへんじしました。
ですから子どものサヅガとカセトはラジョジャンビ王に会いに行きました。ジャンビについたあとで、すぐ王おさまに会いました。ラジョジャンビ王はせつめいしたあとで、カセトとサヅゴにしようごうをあげました。カセトはジュドと言うデパティをもらいました。
いっぽうサヅゴはカルタウドと言うデパティのしょうごうもらいました。しょうごうをもらったあとで、ふるさとへかえりました。ふることで人々はスイギユウをころして、たくさんごはんをたいて、パーデイをしました。
パーデイの時に二人のデパチはしゃかいをひとつにしました。その時にもデパティのグルプをつくって、「ブンゴセカキベルチヤバンヅオ」と言うグルプの名前をつけました。このグルプはふるさとによって作(つく)りました。ですからそのグルプの中にはジャヨとカルタウド、ジュドとゲントのデパティです。
パルボのデパティは一人ですから、もう一回そのグルプにいるデパティによってとりつけて、そのグルプの中に入りました。しゃかいのなかにあるデパティのぎむは三人のニニクママク「長老」によって手伝います。今でもそのことは使います。その時、デパティのぎむは一つずつわけます。
グヌンラヤ社会の中にとくにルロむらはニ人のデパティと一人のニニクママク「長老」に先導されます。そのデパティはそれぞれべつのぎむを持っています。ルロむらにはデパティ「習慣指導者」とニニクママク「長老」をしゅうにんさせるためにそうだんしなければなりません。デパティ「習慣指導者」とニニクママク「長老」はせきにんをもっていなければならなく、しんせつな人です。そして、その人もしゅうかんについてよくわかっていなければなりません。

3.結論
デパティがしゅうにんされるのは5年の中に一回します。そして、デパティ「習慣指導者」とニニクママク「長老」の式はいっしょにします。その時人々はスギユウをとさつしてたくさんごはんをたきます。デパティとニニクママクの任命式は伝統的な建物で行います。任命式のあとで女の人はしゅうにんされたばかりのデパティとニニクママクにやしの水を上げて、デパティとニニクママクは飲みます。
デパティとニニクママクになるためのじょうけんです。
1. デパティとニニクママクはぎむがあります。社会のことは自分のことより大切です。
2 デパチは社会に公正にしなければなりません。
  デパティとニニクママクになるため、じゅんばんにしなければなりません。
そしてつぎのような色々なきまりがあります。
1.男、せいしんがいいです。
2.そうぞく権をもっています。
3.いいちしきをもっています。
4.こうせいな人です。
5.けんこうがいいです。
いちばんひっような条件はこうせいな人です。デパティがまちがいをしたら、人々のつながりがバラバラになってそんけいされない人となりやめさせられます。

By:アンディ プテラ
ブンハッタ大学日本語学科


伝統的な家をたてる過程での儀式
1.始め
ミナンカバウは西スマトラの種族です。ミナンの種族にはとくべつな家、バゴンジョンがあって、カバウ「水牛の角」の形をしています。ミナン人はrumah Adat 「伝統的な家」をと言っています。形とけんちくのし方先祖の遺言によるもので高い文化の価値があります。
伝統的な家はいっしょに生きて、目的が同じあることを象徴しています。そして、この文化の象徴に誇りを持ち、守っていかなければなりません。なぜなら伝統的な家に庶民の生き方の鏡なのです。近所の人や、友だちと仲良く生活し、お互い助け合い、恥を知り、そして礼儀正しく行なうことを表わしています。伝統的な家は知識が高く豊なモラルのあるを育てるためです。


2.本論
ミナンカバウには伝統的な家を建てる時種族も全員の同意をもらいます。これは、これから伝統的な家を建てる「計画(けいかく)のー部(ぶ)」となり建築がはじまります。同意をもらうとき伝統的な家を建てるのに、今までの伝統の規則に合っているかどうか考えます。また、伝統的な家の寸法と必要品の費用といつからしごとをはじめるか、種族全員と話します。
伝統的な家を建てる場所を決める時、種族全員が集まり、けいやくに合っているかどうか、かくにんします。そのけいやくには、その場所に伝統的な家を建てる理由はふたつあります。
―.その場所を選んだ理由そして、伝統的な家をたてるのに代々の土地であること。
二.場所を選ぶ時、伝統的な家を建てるところが庶民のすんでいるばしょに近いこと。
伝統的な家を建てるのにききんを集める。その方法は、伝統的な家を建てる時、都会に出て働いている人や地方政府に寄代全をもらいます。また、呂りの種族のかぞくからもきふ金をあつめます。きふの額は種族のけいやく額によって決まります。都会へ働きに出ている人や庶民からは、そのひとの能カによって決り、都会へ働きにでているは子供と孫とおいに寄付全をもらいます。地方政府も伝統的な家を建てるためにきふ金をくれます。例えばcamat「区役所」です。
伝統的な家を建てる時、庶民は必要品のざいもくとijuk「しゅろ」を探します。材木は同時に寸法のそろったものを切りたおします。切りたおす時、種族だけで切りたおします。外部の人はうけ人れられません。かれらはいっしょに材木を伝統的な家を建てる場所へ運びます。その場所(ばしょ)に川(かわ)があれば材木は森から小舟にのせて、川に流します。このかつどうは儀式の一部にあたり[canangとgendang]という楽器を鳴らしながら運びます。
材木は川にだいたい浮きます。ほかの材木はおとこたちに、運ばせます。このしごとを同時にするとはやくおわります。しごとするときにその材人たちーつになって働きます。
材木をあつめ3時、けいざい的にします。けいざい的にするためには、長もちするために材木と竹を泯[luluak atau lunau]の中と水に漬けます。この方法は材木とたけが家アリに耐耐えられるようにするためです。家が家アリに食べられなく、長むらするためです。
せんぷの手川負がおわったあとで伝統的な家を建てはじめます。Panaiの種族の伝統的な家は四つのgonjong「角の形をした屋根」、五つの部屋、一つの広くて長い部屋、32の捧、8つの窓があります。でもこのpanai種族の伝統的な家には、anjungan「段」がありません。この家の建て方はcaniago種族とpiliangの種族と違います。また建築中に接待し、儀式を行い、これを[baralek/kenduri]と言います。主要な柱は鶏の血で汚されます。この儀式は伝統的な家を建てる時、語学たんのになり、家のゆれいの災難からのがれるようにするためです。この儀式はむかしからのでんとうです。そして、職人たちにしごとをしてもらいます。職人たちがしごとするまえにけいやくします。このはじめの儀式は「batagak tunggak tuo」と言います。この意味は伝統的な家の柱を建てるということです。
この儀式も欠かせられません。Pemuka adat 「習慣にくわしい人」やAlim ulama 「宗教指道者が招待されます」。この儀式の目的はしごとの安全を祈り。そして、つぎは職人たちがすぐしごとをします。職人たちはおわるまでしごとをします。
伝統的な家が建ったら、内装は四つのgonjong「角のかたちをした屋根」、五つのたぶん部屋、-つの広くて長い部屋、32の捧、ハつの窓がおわります。完式したら、祝います、お祝には、となりの人、近所のひと、親せきの人、を招待(しょうたい)します。これを[menaiki rumah]と言(い)います。Pemuka adat「習慣にくわし人」や、長老やAlim ulama 「宗孝指道者」を招待します。この時に新しい家に住む人が平穏(へいおん)にくらせるように祈ります。


3.結論
ミナンカバウにはいろいろな種族があります。種族によって伝統的な家の建て方が少し違います。伝統的な家はミナンカバウの種族の象徴です。伝統的な家を建てる時に、規則があります。Panaiの種族は伝統的な家を建てる時、3つの儀式が行われます。これらの儀式はさいしょの儀式建築中の儀式、そしてさいごの儀式です。さいしょの儀式、は3つあって、建てる計画です。建築中儀式は2つあって、ききんをさがす儀式です。最後の儀式は柱を建てる時の儀式です。これらの儀式は種族一同一緒になって助け合います。Panai族はほかの種族と違い、特別(とくべつ)な家(いえ)です


By: ピピン ペルマタサリ
ブンハッタ大学日本語学科




ミナンカバウ民族の遺産計画の組織

1.初め

インドネシアの文化
インドネシアの文化は、「多様性の中の統-」をモットーにして、33州それぞれ自分達の文化や、慣習を持っています。そして、かれらはそれぞれ自分達の文化や慣習に守りを持ち自慢しています。
かれらは自分達の言葉、慣習、儀式、文化伝統を受け継ぎ、守り、そして子孫に受け度しています。かれらのぶんかや慣習などは、まったくほかの地域と異なり、その上言葉も違う人達同士の間で、使われています。ジャワ人はジャワ語、バタ人はバタ語、ミナンカバウはミナン語が話され、都会ではインドネシアごが話されいるのであります。都会で同じ出身地の者と出会うと、-変して自分のいなかの言葉になり、親しみを表します。慣習、芸術、文化にしても、これが同じインドネシアの文化なのかと、おどろかされます。それほど違うのであります。
ミナンカバウには先祖代々から受けついた財産と自分たちで築いた財産を子供から子孫へと受けついていく財産と2つある。財産の管理はおじにあたる人がその財産を守り、できれば、結婚するまえに増やし、おじが死亡、または年おえば、おいにこの役目を受け渡す。

ミナンカバウ人は出かせぎしたり、ミナンカバウ人は他の種族の人と結婚したりするようになったので、ミナンカバウ遺産租続のシステムが変わってきいている。そのため最近、ミナンカバウ人はおじやおいの役目がわからないなってきている。最近のミナンカバウの人は遺産祖続は妻と子供だけにと考えています。先祖代々から受つかれてきた財産、田んぼや家「ルマガダン」は管理されなくなっています。そこで筆者はこのふたつ種類の財産が、サリンプンバティプ村習慣の規則と宗教の規則によって、守られていることを説明したいと思います。

2.本論
宗教の規則はアラビア語で「ファライド」と言います。この遺産
は死んだ人が生存している人に財産を渡すと言う遺産です。そして「イルムファライド」はアルコランとハデイスの規則によって生存者に財産がわけられています。イスラムの規則によれば、遺産がもらえるには妻は1/6、男の子供は1/3、女の子供は1/6もらえることになっています。もし、相続人がいなかったら遺産相続は「バイツルマル」に寄付されます。この全代金は親のない子供や しい人に分けられています。
ミナンカバウ慣習の遺産の規則はふたつあります。サコの遺産とプサコの遺産です。サコの遺産はおじが死亡または年老いたら、ダトクと言う称号を持っているおじからおいに渡されています。プサコの遺産は先祖代々から受けつかれている財産をめいに渡しています。それは田んぼや畑やルマガダンなどがあります。これらの財産はおいか結婚するまえ増やすことができます。この財産はだれにも分けることができませ3ん。
ミナンカバウの社会の中に遺産の種類はよっつあります。
• プサコティンギは先祖代々受けつかれている財産です。
• プサコレンダフは父または おじさんがかせいだ物でこの財産は子供やおいに受けつかれています。
• ハルタペンチャハリアンは兄弟が働いて得た財産でみんなでわけています。
• ハルタスアランは夫婦が働き得たもので相続は彼らの子供だけ遺産されています。
西スマトラではこのようかな相続がみられなくなりました。なぜなら出かせぎや、他の民族と結婚のためです。サリムプンバチプフ村ではまだこのシステムが使われています。しかし遺産相続はおじがまた結婚しない内に働いて得た財産はおいが受けとることができます。おじが結婚して働いて得た財産は子供に受けつかれています。けれどもサリムプンバティプフ村の若者たちも大勢出かせぎに出ているが、このシステムは今でもまだ残っています。彼らが成功したら、都会で生活している彼らは生まれた村に寄付しています。かれらか年おいたら生まれた村にもどり、寄代金で肥やした財産で老後を送っています。

3.結論
筆者は若者が出かせぎしても、ミナンカバウの伝統や文化や慣習を守り続けてもらいたいと思います。そして財産は相続人に正しく公平に相続してもらいたいものです。ミナンカバウのことわざに「アダトバサンディシャラー、シャラーバサンディキタブラ」ということわざがあります。いみはどこでもいつでも伝統や慣習や宗教をまもらなければならないという意味です。たとえばサリムンバチプフ村すんでいるのようにです。



By :デッシィ フィトリイェニ
ブンハッタ大学日本語学科